人に信頼されるということ。
篠原 隆司
今日は、お昼から同僚と2人で、お客さんのもとへ打合せに。
仕事の話は、まぁ・・・おいといて・・・・。
社長さん。すごく素晴らしい人でした。
打合せの目的である「webサイト作成」の話はまぁそこそこに、打合せ時間のほとんどを使って「社長さんの想い」を教えてくださいました。
この社長さんから頂いた言葉で印象に残ったものがあります。
【弊社の営業マンはお客さんである】
私も「ものづくり」を行う者として、「自分の作品である成果物を中途半端な形で世に出したくない」という想いがあります。
でも、これって、「儲ける」という意味ではダメなんですよね。
良いものを追求するってのは、とてつもなく奥が深く、ある一定のレベルを超えた時点で妥協をしないと、いつまで経っても製品・商品として日の目を見ることはないのです。
そして、ものづくりを行う者にとっては、「まだまだ未完成」な状態であっても、消費者の多くは、それで満足してしまうというのが現実です。
だから、「商売として」制作するものは、あるレベルを超えることはありません。
そのレベルを超えようとしても、周りに抑えられることもあります。
時間的、予算的な都合で、どうしても中途半端にならざるをえないこともあります。
このまま作り進めていけば、大変なことが待っていると分かっているのに進んでいることもあります。
それらの多くの場合、私の力ではどうすることもできない状況です。
だけど、私にもプライドというか、「こんなものを私が制作したと思って欲しくない」という想いもあります。
私が、指揮をする立場、それだけの権限があれば、「こんなのOKするわけない」という事例は数知れず。
【弊社の営業マンはお客さんである】
この言葉は、まさに私が常々、周囲のみんなに言っている言葉そのものでした。
良いもの作れば、お客さんは宣伝してくれるのです。
とても素晴らしい体験を受けたお客さんは、その素晴らしい体験を、親兄弟・友人・知人とも共有をしたくなります。
誰にでも・・・ではなく、お客さんにとって、特に大事な人にこそ、その素晴らしい体験をして欲しいと思うものです。
もし、あなたがとてもおいしいパスタ屋さんを見つけたらどうします?
みんなに教えてあげたくなりませんか?
そこへは一番に誰を連れていってあげたいと思いますか?
【弊社の営業マンはお客さんである】
この言葉を平然と言える社長さん。
実は、私も、まったく同じセリフを言ったりしてます。
自分の運営しているサイトのお客さんとかね。私は自分のサイトを「宣伝」したことはないんです。
私はあの場所を「作っただけ」。でも、気がついたら、あれだけの規模になってしまってました。
この現象を友達や他人に説明するときに、
【良いものさえ作ってたら、お客さんがお客さんを呼んでくれるよ】
と言ってたんです。
でも、うーーーん。 同じセリフだけど、そのなんていうか、重みというか質というか、この社長さんには適わないなぁと思いつつ・・・・なんとか一緒に仕事をして、今後も関わっていきたいなぁと思う方に出会えたことがとても良かったです。