ブログが嫌いな理由
篠原 隆司
私がブログを知ったのは、日本でブログが流行りだしたほんの少し前。
先にブログというものに気がついた一部の人だけが使っていた時代。
その頃からブログには触れてきている。
だけど、自分自身の為にブログを使ったサイトを作ったのは、このwebnaが初めて。
私はブログが嫌いです。
でも、ここ(webna)はブログです。
でもやっぱりブログは嫌いなんです。
なぜかって?
それは、「使い捨て」だから。
使い捨て
そう、使い捨てなんです。
記事の使い捨て。
コツコツせっせと時間を掛けて書いた記事が使い捨て。
どんなに良い内容の記事でも、次の日には消滅してる。
いや、実際には消滅しないんだけど、人の目に入らない場所に移動してしまうと存在しないのも同じになる。
『ブログ内検索すれば出てくるじゃん』
『カテゴリ辿れば出てくるじゃん』
そんな声も聞こえそうだけど、本当にそうなの?
検索するってのは、検索したその先にその記事があることを”あらかじめ知っている”ことが前提じゃないでしょうか?Googleで検索するのと、特定のサイト内だけの検索をするのとではわけが違います。そのブログの中に求めているものがあることを知っていなければブログ内検索は意味を持ちません。
カテゴリを辿るのも同様で、そこに答えがあるのを知っているから、時間をかけてカテゴリを辿ってくれるのです。ブログのカテゴリって、初めて来た人が探しやすいようには作られていないんですよね。
ブログに欠けているものって、本や雑誌で言うところの”目次”が無いことなんです。
目次がないから、目に入る記事を順番に見ていって力尽きたところで、ブログを離れてしまう。
そのブログの印象は、TOPページの最新の記事に書かれていることだけでしか判断されかねない。
検索エンジンでいくら探してもヒットしないページが、そのブログの奥底に眠ってるかもしれない。
だけど、その記事の存在を知っているのは、ブログ作者とその記事が書かれた日に偶然目にした人だけ。
もったいない。
いや、だから私のブログを隅から隅まで見てください。って言っているのじゃなく、多くのブログサイトがそんなだから、もったいないと思うわけ。
私には行き付けのブログサイトがいくつかあって何度も通っているのにもかかわらず、数年前に書かれた記事を、つい最近初めて知った。そういうケースは一度や二度じゃない。
ちゃんとした目次さえあれば、記事のタイトルだけを追っていって、気になる記事はその場で見ることができる。古きよきオーソドックスなwebサイト(ブログじゃない)は、目次ページがあって、記事のページがある。
で、私はwebnaをブログで構成する。
無いなら作ればいい。
昔は未熟だって、他人(特に英語圏)の書いたプログラムを読んだりできなかったし、PHPも覚えたてで、プログラムの中で何が行われているか追いかけていくのも大変だった。
だけど、今はできる。
ブログの嫌いなところを、自分の力で解決できるようになったから、嫌いなブログを使う。