SNSは遠慮のかたまりなのか

ちなみに、SNSとは「ソーシャルネットワーキングサービス」。
具体例を挙げれば、モバゲー・Gree・mixi・MySpace・Facebook・・・のようなネットサービスをイメージして頂ければと思う。

私自身、SNSのいくつかのアカウントを持っており、日記を書くなどそれなりに活動している。
いわゆる「友達登録」という機能はあまり使わない。
使ったとしても、リアルに関係があるか、未来においてそういう関係を望む方たちだ。(有名人は除くが)

だからといって、SNSの中で非活発なのかと言えばそうでもない。
色んな人のところに足跡を残してくる。
気になるコミュニティから、そこにいる方たちのプロフィールや日記を読んだりする。

それで気に入ったからといっても、友達申請を出したりはしない。
どうせ、私がお邪魔したことは足跡で分かるし、あなたの元に私の足跡がたくさん残っていれば、あなたのことを気に入っているのだと分かるだろう。

そもそも、足跡を残さないのも偽装するのも簡単だ。

そのうえであえて、aultaの足跡を残す。
それは、素通り禁止とか言うまでもなく、きちんと「足跡」を残しているではないか。
ましてやコメントを残すことがあるとするなら、「ただの足跡」以上にあなたに興味を持っていることになるだろう。

さて、ここから本題。

SNSの日記は、なぜ遠慮のカタマリなのか?

そこに見えるものは、似非コミュニティ。
コミュニケーションしているように見えるのだが、一方通行。

投げたら投げっぱなし。
受けたら受けっぱなし。
投げて、受けて、投げ返さない。

なんで、自分の日記にコメントくれてるのに「ありがとう」の一言もないの。
なんで、日記に質問くれているのに答えないの。
なんで、その話題をもっと深く語り合いたいと思わないの?

SNSをやっている人でも、「SNSの友達リスト = ほとんどリアル知人」と言う方を見れば、このへんがしっかりできておりコミュニケーションを取っているように感じる。

「SNSの友達リスト = ほとんどネット知人」となると、無難な返事が連続している。ましてや日記コメントの本人登場なんて無いに等しいだろう。

ただ、前者は少数派。
私見だけど。
後者が多数派。だから、不安になったあなたは不安にならなくても多数派だ。
私見だけど。

この傾向は、SNSに非常に強く感じる。
昔からあるような普通の掲示板のほうが、人間らしさを感じる。
2chなんてそれこそ人間らしさのカタマリだ。良い意味でも悪い意味でも。

SNSは都会。人とのつながりを主張するくせに、ある一線から内側には入ってくるなと言っている。

2chは田舎。人を無条件で受け入れ、誰にでも本気でぶつかっていく。
本気でぶつかり合うからこそ、議論が生まれ、時に喧嘩をし、新しい発想が湧き上がり、ヌクモリティが形成されていくのだと思う。

SNSに人間臭さを求めることは間違いなのだろうか?