ウソをつく人は圧倒的に人生経験が少ないんじゃないかと思う。
篠原 隆司
ウソをウソと見抜ける人が多すぎるから。
以上。
・・・とまぁ、これで終わるのもなんだから続ける。
最初に、ここで言う「ウソ」とは、より重大で、より多くの人に影響を与えるような「ウソ」ってことで定義しておく。
だって、こんなことを書いている私も多少のウソはつきます。
お腹がすいてても、空いてないって強がるし、
やりたくないことを頼まれても、笑顔で引き受けたりもする。
そういうちっぽけなウソは、ウソとバレテもお互いに影響がないから良い。
また、ウソがバレるようにウソをつくこともあるだろう。
そんなことじゃなく、もっと大きなウソ。
例えば、浮気とか、お金の約束とか、ありもしないことを大げさに言い過度に期待を持たせる発言をするとか。
別にね、できないならできないで良いって思う。
「ごめんなさい。あの時はあんなこと言ったけど、できませんでした。」
そう、こうやって謝罪の意思を見せれば、相手も今後について一緒に考えようかって気にもなるだろう。
もちろん、ギリギリになってそう言われても、と相手の方は怒るかもしれない。
「できない」って判断したなら、一刻も早く伝えるべきだ。
早ければ早いほど良い。
後に延ばせば延ばすほど、自分にとっても、相手の方にとっても、選択肢は無くなってくるものだ。
そして、一番タチが悪いのが、土壇場にきてもなお開き直ることだ。
多くの場合、他人の責任にして、自分は被害者ぶるだろう。
でも、みんなは知っている。
あなたが、まだ『隠したつもり』にしているあのことを。
その切り札は、こっちの武器として温存しているから。
「ウソはバレる」
とても簡単なこと。
そんなもの人に言われなくたって、自らまたは他人の経験として知っているハズだ。
より大きなウソをついた人間が、クラスや会社でどのような扱いを受けているかは、みんな見てきているんじゃないかな?
それなのに、ウソをつく人って、ホント、そういう経験を見聞きすらしたことがないのかな?って心配になってしまう。